付録
福屋氏に関するその他の事項
◆ 福屋教兼
吉川之経〈1438-1500〉の娘は石見福屋教兼室 [文献表49番]。
吉川家系図
経信 → 之経┏経基(1428-1520)→ 国経→ 元経→ 興経→ 元春(毛利元就の次男)
┣元信
┣経清
┣女
┗女(福屋教兼室)
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[文献表48番・49番]
◆ 福屋兼通
- 「(今市村大字丸原)丸原城主福屋民部兼通は福屋兼廣の支族」[文献表12番5173頁]。
- 「(今市村)小屋城主福屋民部大輔兼通・永禄二年四月、福屋八千貫、元就と和す」[文献表12番5173頁]。
◆ 福屋七朗左衛門尉
「(浅利村)四ツ地蔵城主福屋七朗左衛門尉」[文献表12番5173頁]。
◆ 福屋隆利
『石見誌』によると、三宅筑前守勝貞が延文3〈1358〉年、熊ヶ峠城(邑南町矢上)を築城したとされている。彼の妻は福光城主・福屋隆利の女とある [文献表38番]。
◆ 香川県琴平町に在る金比羅宮 (通称、讃岐の金毘羅)には、「全国各地から喜捨名を彫った石柱などがぎっしりと立ち並んでいる」[文献表13番481頁] 。このひとつに福屋氏が寄進した石柱がある。
◆ 石見・小笠原家
… 長正(10代)→ 長定(11代)→ 長隆(12代)→ 長徳(13代) …
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[文献表72番843頁]
- 小笠原長隆(12代)の姉妹5人は、高橋・福屋・川登・大家・川合の室 [文献表72番843頁]。
- 小笠原長徳(13代)の妻は福屋女。長徳は、天文9年、吉田に出陣した [文献表72番843頁]。
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初版公開:2009年6月9日
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