福屋一族の軌跡 著者:福屋義則ふくやよしのり

第5章
天児屋根命【中臣氏の祖】
から
中臣鎌足【藤原氏の祖】
まで



この第U部で、中臣氏⇒藤原氏⇒御神本氏⇒益田氏⇒福屋氏の歴史的流れにそって福屋一族の軌跡を追います。系図A(大和時代を扱った第5章)から系図F(戦国時代の石見を扱った第10章)まで継続したものである。

まず、この第5章では、天児屋根命【中臣氏の祖】から中臣鎌足【藤原氏の祖】までを扱う。

中臣氏⇒藤原氏⇒御神本氏⇒益田氏⇒福屋氏

系図A

※1 ※2 ※3 天児屋根命 → 天押雲命 → 天多禰伎禰命 → 宇佐津臣命 → 大御食津臣命 → 伊賀都臣命 → 梨迹臣命 → 神聞勝命 → ※4 ※5 ※6 久志宇賀主命 → 国摩大鹿島命 → 巨陜山命 → 跨耳命 → 天目通命 → 大小橋命 → 阿麻毘舎卿 → 阿毘古連 → ※7 ※8 ※9 ※10 眞人大連 → 賀朝 → 黒田大連 → 常磐大連 → 可多能祐大連 → 御気子卿 → 中臣鎌足 → [第6章の系図Bに続く]
[文献表2番5-7頁・70番281頁]


※1 天児屋根命あめのこやねのみこと
『古事記』 と 『日本書紀』によると、天児屋根命はあま石窟いわやに隠れた天照大御神あまてらすおおみかみを引き出すために祝詞のりとを唱えた。そして、天照大御神の孫・邇邇芸命ににぎのみことの降臨に際し随従ずいじゅうした五部神いつとものおかみの一人であった。天児屋根命は中臣氏の祖である [文献表23番48頁・24番847頁・62番444-446頁] 。

※2 天多禰あめのたね伎禰命(天種子)
神武東征に従う [文献表97番]。

※3 神聞勝かむききかつ
常陸風土記ひたちふどきによると、「崇神天皇の時、鹿島に留まり祭祀に奉仕」とある [文献表97番]。

※4 巨陜山おみのさやま
景行けいこう天皇の時、常陸ひたち国人 [文献表97番]。

※5 跨耳命
雷大臣命。賜ト部うらべ姓[文献表2番6頁]。

※6 天目通命あめのみとおしのみこと
神宮内宮神官荒木田上祖 [文献表2番6頁] 。


※7 中臣常磐
賜中臣姓 [文献表70番281頁] 。中臣は神と人との中をとり持つ意である [文献表24番847頁] 。

※8 中臣可多能祐かたのこ

下記のとおり、可多能祐の孫・国足くにたり大中臣おおなかとみ氏の祖となった。

中臣・大中臣氏

中臣可多能祐かたのこ御気子みけこ鎌足かまたり国子くにこ国足くにたり(大中臣氏の祖)
	    ┗糖手子ぬかでこくがね(右大臣)











[文献表2番7-8頁・5番262頁・24番847頁・70番281頁]

※9 中臣御気子みけこ
小徳冠しょうとくかん [文献表23番741頁]。628年、推古天皇崩御の際に皇位継承問題が発生した。この時、御気子は蘇我蝦夷側に組みして田村皇子を推挙した [文献表97番]。

※10 中臣鎌足(詳細は第6章を参照。)

中臣氏に関しての更なる情報は「中臣氏・大臣氏考(含:ト部氏)」 [文献表97番] を参照。



次の第6章は中臣鎌足と藤原不比等を扱う。



この章の
最初へ
直前に見て
いた章へ
前章へ 次章へ 参考文献へ 目次へ ホームへ




Copyright (c) 2009 福屋義則 All rights reserved.
初版公開:2009年6月9日
http://fukuya.ddo.jp/fukuya-clan/chapters/cha5.html