福屋一族の軌跡 | 著者: |
第10章では、初代本明城主・福屋兼広から5代城主・景兼まで説明した。この第11章では、6代から11代本明城主に焦点を当てた。
|
※1 福屋兼香(6代本明城主)
弟に兼宗(因幡守)がいた [文献表2番20-21頁]。 兼宗は市木氏祖となった[文献表14番]。
「
※2 福屋兼光(7代本明城主)
太郎。福光村久根城主。『石見雑記』に「久根平城」の記事がみえる [文献表11番574頁]。
※3 福屋氏兼(8代本明城主)
『藝藩通志、山縣郡條』によると、「古壘、大利原、草安、南門原、三村に跨る。應永中、岩見の福屋
1421年に、福屋氏は雄鹿原合戦を始めた (現在の広島県芸北町雄鹿原)。この8年間続いた戦いは、安芸の国、太田・奥山庄の地頭・栗栖氏の領地を争奪する為であった。奥山庄の農民は、年貢取立てに栗栖氏より寛容な福屋氏を支援した。その結果、福屋氏は領地を争奪した [文献表26番]
(
※4 福屋清兼(9代本明城主)
小笠原系図に「十一代長定の二女福屋室」とある [文献表12番5174頁]。 |
※5 福屋国兼(10代本明城主)
太郎左衛門ともいう [文献表2番22頁]。 彼の弟・忠郷が高野氏の祖となった [文献表14番]。
※6 福屋正兼(或は、慶兼、11代本明城主)
福屋正兼は三隅兼隆と永年抗争を続けていた。この抗争は大内義興の命、益田尹兼の仲裁により、
※7 福屋隆兼(詳細は12章を参照。)
この章の 最初へ |
直前に見て いた章へ |
前章へ | 次章へ | 参考文献へ | 目次へ | ホームへ |