福屋一族の軌跡 著者:福屋義則ふくやよしのり

第7章
藤原房前【藤原北家の祖】
から
藤原国兼【御神本氏の祖】
まで《奈良》



中臣氏⇒藤原氏⇒御神本氏⇒益田氏⇒福屋氏

藤原北家ほっけ


系図C

※1 ※2 ※3 ※4 ※5 ※6 ※7 ※8 ※9 ※10 [第6章の系図Bから続く]→ 房前 → 眞楯 → 内麻呂 → 眞夏 → 浜雄 → 家宗 → 弘蔭 → 繁時 → 輔道 → 有国 → ※11 ※12 ※13 ※14 ※15 資業 → 実網 → 有定 → 有隆 → 国兼 →[第8章の系図Dに続く]
[文献表2番14-17頁]



※1 藤原房前ふささき 〈681-737年〉
藤原北家の祖。慶雲けいうん2年〈705〉に従五位下、養老ようろう1年〈717年〉に参議になった。さらに中務卿なかつかさきょうと民部卿をかねた。天平てんぴょう4年〈732年〉に東海・東山二道の節度使せつどしになった。(43代)元明太上げんめいだいじょう天皇は房前ふささき内臣うちつおみに任命して、(44代)元正げんしょう天皇を補佐させた [文献表24番997頁] 。

※2 藤原眞楯またて〈715-766年) 天平てんぴょう12年〈740〉に従五位下、天平宝字てんぴょうほうじ4年〈760〉に従三位大宰師、764年に正三位、天平神護じんご2年〈766〉に大納言。若い頃、従兄・仲麻呂に才を妬まれ、眞楯は家居し読書に耽った。大伴家持おおとものやかもちと親交があり、『万葉集』に旋頭歌せどうか一首、短歌七首を残した [文献表23番750-751頁] 。

旋頭歌せどうか
和歌の一体で、五七七・五七七の六句体。





※3 藤原内麻呂(756-812年)
天応てんおう元年〈781〉に従五位下、延暦えんりゃく13年〈794〉に従四位下で参議となった。中納言と大納言を経て、大同だいどう元年〈806〉に右大臣、没後に従一位左大臣を贈られた。温雅な性格であった [文献表23番740頁] 。

※4 藤原眞夏まなつ〈774-830年、享年57歳〉
内麻呂の長男。母は百済永継くだらのえいけい。大同4年(809)、山陰道観察使、翌年、参議。薬子くすこの変に連座して左遷された。後に、従三位、刑部卿 [文献表8番1646頁]。

※5 藤原浜雄はまお〈不詳-840年〉
眞夏の三男。民部小輔、従五位下 [文献表95番]。

※6 藤原家宗いえむね〈817-877年〉
参議。左大弁。
山城国宇治群日野(現、京都市伏見区)に法界寺を建立した [文献表23番715頁]。

※7 藤原弘蔭ひろかげ〈不詳-904年〉
大学頭。阿波守、相模守、日向守 [文献表2番・95番]。母は藤原山蔭の娘 [文献表95番]。

※8 藤原繁時
大学頭。伊勢、日向等守 [文献表2番]。


※9 藤原輔道すけみち
大宰小弐。周防等守 [文献表2番]。

※10 藤原有国ありくに〈943-1011、享年69歳〉
初名、在国。長徳ちょうとく2年〈996〉、有国に改名。輔道すけみちの三男。漢詩人。藤原兼家と道長の家司けいし。小弁・中弁の後、永延えいえん2年〈988〉、右大弁となる。永祚えいそ元年〈989〉、勘解由使長官、翌年には、蔵人頭くらうどのとうも兼ね、従三位に昇る。長保ちょうほう3年〈1001年〉、参議になり従二位を受けた。文才に富み、一条朝の九卿に数えられた。詩は「本朝麗藻」におさめられている [文献表8番1646頁・23番739頁]。

※11 藤原資業すけなり(日野家)〈988-1070、享年83歳〉

資業は有国とたちばなの徳子の7男。公業くぎょう。歌人。文章もんじょう博士。大内記。左中弁。式部大輔しきぶのたいふ。従三位にのぼる。歌は「後拾遺和歌集」に入る [文献表8番1568頁]。

藤原家宗の建立した法界寺に資業は薬師堂を建てた。資業は日野を称した。通称、日野三位。日野家は儒道を重んじ、「摂関家の家政、院中の庶務にたずさわった」[文献表23番715頁] 。

下記のように日野家は続いた。たとえば、浄土真宗の開祖・親鸞〈1173-1262〉は日野有範の子である [文献表69番617頁]。

日野家の系図 [文献表23番716頁]
 → 資業 → 実網 → 有信┏ 実光 → 資長 → 兼光 →
                        ┗ 有範 → 親鸞







※12 藤原実網〈1013-1082、享年70歳〉
東営学士・大学・文章博士・式部大輔・伊予守・備中守を歴任した。正四位下にいたる。漢詩人。作品は「本朝続文粋しょくもんずい」に集録されている [文献表8番1567頁]。

※13 藤原有定ありさだ〈1043-1094〉
初名、有房。淡路守。従五位上 [文献表2番・95番]。

※14 藤原有隆
式部小輔 [文献表2番]。

※15 藤原国兼(詳細は8章を参照。)







備考
藤原氏の流れで御神本みかもと氏の祖・国兼に至るまで異説がある。双方(眞夏流と冬嗣流)とも藤原北家である。しかし、一説は上記に述べた房前ふささきの曾孫・眞夏から始まり国兼まで11代である。これは(イ)[文献表9番]に引用されている『萩藩諸家系譜』の益田氏系図、(ロ)[文献表5番341-342頁]に引用されている『近世防長諸家系図総覧』、(ハ)[文献表2番14-17頁]を参考にした。他説は房前の曾孫・冬嗣から始まり国兼まで11代で、[冬嗣→良房→基経→忠平→実頼→頼忠→公任→定頼→経家→公定→公通→定兼→国兼]の流れである。これは[文献表 9番・14番・5番341頁]を参考にした。



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初版公開:2009年6月9日 最終更新:2009年7月25日
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