福屋一族の軌跡 著者:福屋義則ふくやよしのり

第8章
御神本みかもと国兼【御神本氏の祖】
から
御神本兼高【益田氏の祖】
まで《石見》



中臣氏⇒藤原氏⇒御神本氏⇒益田氏⇒福屋氏

藤原氏から御神本氏への移行を第7章で説明した。 この第8章ではその後の御神本氏から益田氏への移行を説明します。

御神本氏

系図4

※1 ※2 ※3 ※4 [第7章の系図Cから続く] → 国兼 → 兼眞 → 兼栄 → 兼高→ [第9章の系図Eに続く]
[文献表2番17頁・9番・19番・70番659頁]


※1 藤原国兼(是より御神本みかもと氏。)
初名、定通。権太夫。越中守。大納言 [文献表2番17頁]。永久えいきゅう〈1113-1118〉に、石見の国司こくし(朝廷から諸国に赴任せしめた地方官)として下向げこうし、地名・御神本を姓とした [文献表19番]。

約14万の苗字が日本にある。そのおよそ85%は地名に由来している [文献表99番112頁]。


※2 御神本兼眞(兼実
按察使太夫 [文献表2番17頁]。

※3 御神本兼栄
越中権守 [文献表2番17頁]。

国兼・兼眞・兼栄に関しての詳細は「大江家歴世歌」の益田家歴世歌 [文献表19番] を参照にしてください。

兼栄・兼忠父子は源氏に属し、一の谷の合戦や壇ノ浦の戦いで勲功を立てた。その後、石見国ほぼ全域(久富名・木束郷・益田庄・温泉郷・飯田郷など)にわたり所領を与えられた [文献表9番・22番・47番] 。

国兼・兼眞・兼栄の墓と伝えられる古墳が石見安国寺にある [文献表9番]。

※4 御神本兼高 (詳細は9章を参照。)



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初版公開:2009年6月9日 最終更新:2009年7月9日
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