福屋一族の軌跡 | 著者: |
藤原氏から御神本氏への移行を第7章で説明した。 この第8章ではその後の御神本氏から益田氏への移行を説明します。
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※1 藤原国兼(是より
初名、定通。権太夫。越中守。大納言 [文献表2番17頁]。
約14万の苗字が日本にある。そのおよそ85%は地名に由来している [文献表99番112頁]。 |
※2 御神本兼眞(兼実)
按察使太夫 [文献表2番17頁]。
※3 御神本兼栄
越中権守 [文献表2番17頁]。
国兼・兼眞・兼栄に関しての詳細は「大江家歴世歌」の益田家歴世歌 [文献表19番] を参照にしてください。
兼栄・兼忠父子は源氏に属し、一の谷の合戦や壇ノ浦の戦いで勲功を立てた。その後、石見国ほぼ全域(久富名・木束郷・益田庄・温泉郷・飯田郷など)にわたり所領を与えられた [文献表9番・22番・47番] 。
国兼・兼眞・兼栄の墓と伝えられる古墳が石見安国寺にある [文献表9番]。
※4 御神本兼高 (詳細は9章を参照。)
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