福屋一族の軌跡 | 著者: |
第8章では御神本氏から益田氏への移行に着眼した。この第9章では益田氏から福屋氏への移行を説明する。
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益田氏・三隅氏・福屋氏を石見三氏と言った [文献表11番]。
※1
益田氏一族の家紋には"久"の一字がある。益田氏が藤に久、
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益田氏系図によると益田家に御神本氏を含めている。つまり、御神本国兼を益田氏初代、御神本兼眞を二代、御神本兼栄を三代、益田兼高を四代、兼季を五代としている [文献表9番・19番] (下記の益田家系図を参照)。この後、江戸幕末時、益田家は三十三代当主・右衛門佐
兼高の
〈益田氏初代〉 〈益田氏二代〉 〈益田氏三代〉 〈益田氏四代〉〈益田氏五代〉〈益田氏六代〉〈益田氏七代〉 (御神本)国兼 → (御神本)兼眞 → (御神本)兼栄 → (益田)兼高 ┳ (益田)兼季 ┳ (益田)兼時 → (益田)兼経 → ┣ (三隅)兼信 ┣ (周布)兼定 ┗ (福屋)兼広 |
益田家に関しての詳細は「大江家歴世歌」の益田家歴世歌 [文献表19番] あるいは、「武家家伝_益田氏」 [文献表9番] を参照にしてください。
寛喜元〈1229〉年、益田兼高の次男・益田兼信が
三隅氏からは、永安氏、竹彦氏、井村氏などが分流している [文献表46番]。
※2 益田兼高の三男、兼広が福屋を名乗った [文献表11番・19番](詳細は第10章を参照)。
福屋氏子孫から福光氏・横道氏・井田氏・堀氏などの
第10章は本明城主・福屋氏を扱う。
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