福屋一族の軌跡 | 著者: |
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※1 福屋宮丸
詳細は第18章を見よ。
※2 福屋勘十郎 [
勘十郎の兄は源右衛門兼政。
※3 福屋市右衛門 [
※4 福屋半左衛門 [
福屋半九衛門 [寛政3年〈1791〉3月27日没]。半左衛門の兄弟かもしれない。
※5 福屋市右衛門 [寛政9年〈1797〉10月25日没、享年57歳]
※6 福屋
福屋市右衛門 [天保4年〈1833〉没]。彼は二代目市右衛門で彌七の兄弟かもしれない。
※7 福屋彌一郎 [天保6年〈1835〉没、享年28歳]
※8 福屋半左衛門 [
半左衛門の墓は西光寺(山口県萩市瓦町3番地)に在る。
半左衛門の母(名前不明) [
半左衛門の妻・さやは、山口県周防国玖珂郡横山村、佐野伊勢次郎 (士族)の長女として、文化14年10月27日誕生、天保6年10月10日に入籍、明治30年4月7日に79歳で永眠した。
半左衛門と妻・さやには長男・まさゆきと二男・誠一がいた。まさゆきは渡辺家へ養子にいった。まさゆきの子・渡辺よしのぶは五稜郭の戦い(箱館戦争)で海軍少将として維新政府軍に列した。五稜郭の戦いは明治2年〈1869〉5月、榎本
現、山口県岩国市横山 1601年、吉川広家は城郭と城下町の設計を始めた。 横山の頂きに要害を築き、南麓に居館を構えた。 横山に上級武家屋敷を、川西・錦見・千石原に 中・下級武家屋敷を配置した [文献表41番20頁]。 |
※9 福屋誠一
誠一は半左衛門とさやの次男である。
最初、誠一は山口県
次に、彼らは山口県周防国玖珂郡
最後に (明治17年)、山口県周防国玖珂郡由宇村第444に移転した [文献表3番] 。
誠一の先妻・千世は入植時44歳。
全熊(長男)
慶応2年2月9日誕生。明治14年11月16日、全熊は中本家へ養子にいった為、廃嫡。その後、彼はハワイ州に移民した。
よね(長女)
明治9年10月11日誕生。明治13年10月7日没、享年4歳。
福屋源五左衛門 [明治6年〈1873〉12月10日没] 防州岩国本家先祖 [文献表3番3頁]。半左衛門の兄である可能性が高い。 |
玖珂郡
次の第20章は岩国藩の福屋16人をみる。
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