福屋一族の軌跡 著者:福屋義則ふくやよしのり

第21章
北海道1群
福屋新子孫



第19章で述べた福屋誠一家と同時期に〈明治26年5月10日〜18日〉、福屋新家8人が北海道当麻村 (現、上川郡当麻町) に入植した。

福屋新家8人

この一家は山口県周防国玖珂くか郡横山村出身であった。山口県玖珂郡出身27戸のうち横山村からは三戸のみであった(福屋新・橋本源吉・沖原茂平)[文献表44番199頁]。


現在の当麻町中央、宇園別、北星地域は当麻東兵村と西兵村に分けられ、福屋新家8人は東兵村の兵屋番号359に住んだ [文献表44番187頁・199頁]。

この番号は屯田兵各家が乗船時に引いたくじの数字で、
これが住宅番号になった。400戸が入植したので400番まであった
[文献表35番41頁]。

福屋新

後に、彼は上富良野収入役(会計管理者)を明治39年04月30日から大正09年05月05日まで14年間勤めた [文献表55番]。

新の甥に福屋和夫(上富良野町)がいた [文献表54番]。

福屋新の子孫・福屋キヨが「大正十五年五月二十四日十勝岳大爆発」の災害に遇い、亡くなった。死者追善供養のため、大雄寺(上富良野町中町)境内に三十三身の観世音菩薩碑が建立された [文献表64番]。






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初版公開:2009年6月9日
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