福屋一族の軌跡 著者:福屋義則ふくやよしのり

第13章
福屋隆兼【12代本明城主】

家族《石見》



第12章は福屋隆兼について説明した。この章は彼の家族を中心にみていきましょう。下記の系図Hは系図G(第11章)から続き系図L(第18章)に続くものである。


系図H
※1

※2                ※3               ※4               ※5                ※6
兄弟姉妹間の出生順序は不詳である。
[文献表2番23頁・3番9頁・12番1078頁]を参考。

福屋氏 〜石見国〜


※1 福屋隆兼の室は吉川国経の娘である [文献表73番]。 彼女の名は不詳。彦太郎、次郎、宮丸の生母が彼女である事を支持する、その反対に、否定する文献は無い。

吉川国経には三男二女がいた。他の娘は毛利元就の正室となり妙玖と称した。

吉川家系図

経基 → 国経┏元経 → 興経おきつね → 元春(毛利元就の次男)→ 広家 ┣経長 ┣経世 ┣女 (福屋隆兼室) ┗妙玖(毛利元就室)

[文献表48番・49番]

※2 福屋彦太郎 (嫡男)
第12章で述べたとおり、彦太郎は永禄えいろく5年〈1562〉に父・隆兼と共に石見を逃れた。その後1580年初頭には、彦太郎は豊臣秀吉に仕え因幡いなば伯耆ほうきに居た。

『寛政重修緒家譜』〈1964年〉によると、天正8年〈1580〉、豊臣秀吉は福屋彦太郎・亀井茲矩・武田源五郎・赤井五郎忠家に鹿野城(因幡の国)を守らせた [文献表20番・81番]。

明智光秀が伯耆ほうきに在陣していた福屋彦太郎に天正10年〈1582〉5月28日付の返事を出した。これは彦太郎からの書状に対する光秀の返事です。ちなみに、本能寺の変は同年6月2日。

山陽道毛利・吉川・小早川於出、羽藤対陣之由之間、 此度之義ハ、先至彼面可相勤之旨上意ニ候、 着陣之上、様子見合、令変化、伯州へ可向候 至其期別而御馳走所希候 [文献表94番]

織田信長は毛利攻めをしていた秀吉を援助するため、光秀に山陽道への出陣を命じた。この書状で光秀はこういっています。毛利・吉川・小早川軍討伐のため山陽道に出陣しなければならない。いずれ、伯州(伯耆)にいく。


※3 福屋次郎隆任たかとう (次男)

『石見志』によると、「那賀郡(松山村大字長良櫃之城主福屋二郎隆任・御神本国兼(藤原定道)玄孫福屋兼廣十三世孫なり。永禄三年落城出雲に走る」[12番5174頁]。

永禄えいろく5年〈1562〉2月、松山落城して城主福屋次郎隆任は戦死する [文献表78番]。この折、部将・神村下野守も討死した [文献表43番]。


※4 福屋宮丸第18章を見よ。)

※5 娘(名前不明)と彼女の夫・立原久綱
この娘に関しての詳細は不明である。しかし、彼女の夫は立原久綱〈1531-1613年〉である。

後に上月こうづき城攻防に敗れた立原久綱が隆兼を頼って阿波に訪れている [文献表30番・77番]。多くの文献(たとえば、[文献表30番])では立原久綱〈1531-1613年〉は福屋隆兼の女婿とされている。その一方、福屋隆兼は立原久綱の岳父がくふ(即ち、妻の父)であったとする説がある [文献表75・76番]。後の説を支持する第一の理由は、隆兼が吉川国経の娘を娶っているので立原久綱の女婿とは考えにくい事である。第二の理由は、隆兼が久綱よりも早い時期に活躍した事である [文献表77番] 。
これら二つの説は一見矛盾しているようであるが、そうではない(詳細は第15章)。

上月城こうづきじょう攻防〈1578年〉は播磨国上月城で毛利
輝元と尼子勝久の間で起こった [文献表30番]。

※6 娘(名前不明、生年不明-1587)と彼女の夫・大石義胤

元亀げんき元年〈1570〉、當國日和ひより城没落の後、城主日和冠者ひよりかんじゃ隆廣末孫、福屋太郎隆兼公室と娘同没落して原村に居住、故に以女義胤の妻となす。 天正十五年〈1587〉丁亥三月廿一日逝去 (私がルビと西暦を付け加え。) [文献表12番1078頁]。

おそらく1562年の隆兼没落直後に室と娘は原村に居住したのであろう。石見の原とは現在の島根県益田市にある。美濃郡に位置し、「波田川上流域の東部日晩ひぐらし山の西麓にある」(私がルビを付け加え。)[文献表11番540頁]。義胤とは大内志摩大輔義胤、苗字改め、大石義胤(大石家祖)のことである。義胤の父は大内義隆である [文献表12番1078頁]。

隆兼が没落した永禄えいろく5年〈1562〉から室と娘が居住した元亀元年〈1570〉まで8年間ある。この間、室と娘は何処に住んでいたのであろうか。



この章は隆兼の家族(系図H)について説明した。系図A(第5章)から系図H(この第13章)までの系図は一本の家系として繋がっている。第18章は隆兼の三男について触れる。



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初版公開:2009年6月9日
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