福屋一族の軌跡 | 著者: |
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※1 福屋兼元 (初代) [
彦左衛門とも呼ばれた。石高三百拾八石。母不詳。
※2 福屋貞正(2代)[
貞正の父は隆兼で、兄は元繁である(阿波1群:系図Iを参照)。貞正は兼元の一人娘と夫婦となり、この(阿波3群)福屋家の系統を継いだ。
貞正は、地方役を勤めた。その後、瑞雲院(初代徳島城主・蜂須賀家政の法名、1638年没)[文献表53番] が藩主在任中〈1585-1600年〉、御用方を勤めた。
※3 福屋貞行(3代)[
奥源院の時、貞行は奥小姓を勤めた。
※4 福屋貞久(4代)[
使番役を勤めた。数度、江戸にお供をした。
※5 福屋貞常(5代)[
西尾組に属した。仁良院の時、江戸御供使番役を勤めた。その後、大西代官と蔵奉行を歴任した。
※6 福屋貞隅(6代)[
中村組に属した。お供として江戸に行った。憲徳院(蜂須賀宗鎮の法名、藩主在任1739-54年、1780年没)が養生の為帰国する時、お共として阿波に帰って来た。
※7 福屋貞居(7代)[
奥小姓・御使番・裁判目付けを歴任し、江戸へ船で度々行った。
※8 福屋貞永(8代)[
良遷院(十二代徳島城主・蜂須賀治昭の法名、1814年没)が藩主在任中〈1769-1813年〉、道橋奉行を勤めた。
※9 福屋直之(9代)[
石高百拾八石であった。
『蜂須賀家家臣成立書并系図』 旧徳島藩主蜂須賀家(現在、徳島大学附属図書館)所蔵の 『蜂須賀家家臣成立書并系図』(249冊)は、 蜂須賀家家臣1802家代々の家督相続者について死亡年月日、 役職、禄高、家紋などを記録している [文献表58番]。 |
第14、16、17章は文久9〈1861〉年までの阿波福屋家を扱った。この三家の子孫についての所在は不明である。現在、徳島県に福屋家は存在しない(第2章図2-1を参照)。
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