福屋一族の軌跡 著者:福屋義則ふくやよしのり

第17章
阿波3群
福屋兼元から直之まで



3群:福屋三太兵衛兼元

系図K

※1 ※2 ※3 ※4 ※5 ※6 ※7 ※8 ※9 兼元 → 貞正 → 貞行 → 貞久 → 貞常 → 貞隅 → 貞居 → 貞永 → 直之
[文献表52番]

※1 福屋兼元 (初代) [元和げんな8年〈1622〉没]
彦左衛門とも呼ばれた。石高三百拾八石。母不詳。

※2 福屋貞正(2代)[正保しょうほう3年〈1646〉没]

貞正の父は隆兼で、兄は元繁である(阿波1群:系図Iを参照)。貞正は兼元の一人娘と夫婦となり、この(阿波3群)福屋家の系統を継いだ。

貞正は、地方役を勤めた。その後、瑞雲院(初代徳島城主・蜂須賀家政の法名、1638年没)[文献表53番] が藩主在任中〈1585-1600年〉、御用方を勤めた。

※3 福屋貞行(3代)[元禄げんろく4年〈1691〉没]
奥源院の時、貞行は奥小姓を勤めた。

※4 福屋貞久(4代)[正徳しょうとく元年〈1711〉没]
使番役を勤めた。数度、江戸にお供をした。

※5 福屋貞常(5代)[延享えんきょう2年〈1745〉没]
西尾組に属した。仁良院の時、江戸御供使番役を勤めた。その後、大西代官と蔵奉行を歴任した。


※6 福屋貞隅(6代)[宝暦ほうれき11年〈1761〉没]
中村組に属した。お供として江戸に行った。憲徳院(蜂須賀宗鎮の法名、藩主在任1739-54年、1780年没)が養生の為帰国する時、お共として阿波に帰って来た。

※7 福屋貞居(7代)[文化ぶんか2年〈1805〉没]
奥小姓・御使番・裁判目付けを歴任し、江戸へ船で度々行った。

※8 福屋貞永(8代)[天保てんぽう10年〈1839〉没]
良遷院(十二代徳島城主・蜂須賀治昭の法名、1814年没)が藩主在任中〈1769-1813年〉、道橋奉行を勤めた。

※9 福屋直之(9代)[安政あんせい6年〈1859〉没]
石高百拾八石であった。




徳島大学附属図書館所蔵 『蜂須賀家家臣成立書并系図』[文献表52番]を要約


『蜂須賀家家臣成立書并系図』
旧徳島藩主蜂須賀家(現在、徳島大学附属図書館)所蔵の
『蜂須賀家家臣成立書并系図』(249冊)は、
蜂須賀家家臣1802家代々の家督相続者について死亡年月日、
役職、禄高、家紋などを記録している [文献表58番]。



第14、16、17章は文久9〈1861〉年までの阿波福屋家を扱った。この三家の子孫についての所在は不明である。現在、徳島県に福屋家は存在しない(第2章図2-1を参照)。



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初版公開:2009年6月9日 最終更新:2009年7月9日
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